理屈っぽく

最近、色々物思いにふけることが多くなった。たぶん修論でいっつもあーでもないこーでもないって考えてるからだろう。いや、そんなことはないか。ただ、このままの自分じゃきっとこれからの人生良くないだろうっていう感覚があるからだっていうのは理由の一つになっている気がする。
で、どんなことについて考えるのかっていうと、まあ自分のことについてなわけです。それというのも、これまで僕は自分がどんな人間かということについてはものすごい勢いで無自覚だったんです。そう、「自分に対して無自覚である」ということにすら全く気がついていないくらい。
最近、俺は自分という存在に対してあまりに無知であるということに気がついた。そしたら急に怖くなった。そんな状態でこれまで生きてきたことも怖いと思ったし、これから生きていくのはたまらなく怖いことのように感じた。でも確かにそう、これまでのことを振り返ってみると俺は自分のことを知らなすぎる。「おまえ、どーする?」この一言でどれだけ俺が悩んできたかを考えればそれはあまりに明白だ。自分がどうなのか分からないからいつもいつも悩んできた。少なくとも思考を働かすにおいての指針となるべきものが明確に意識されてはいなかった。衝撃的な事実発覚だ。洞窟の生き埋めくらったようなもんだ。

こんな感じで、もう来年の春からは社会人になるんだし、自分で自分のことをちゃんと知っておいた方がいいなって思ってか、いやもしかしたらそんなこと思ってないかもしれないけど(上述の内容はたんなる理由付けに過ぎないかもね)、自分の内面に思考を飛ばすことが多くなりました。
自分はどんな性格で、どんな人間に憧れていて、どんな人になりたくて、どんな風に周りから接してほしくて、どんなことが好きで、どんなことが嫌いで、とか、俺にとって勉強ってなんだ?とか、好き、嫌いってなんだ?とか、優しさって何?とかかなり幅広めな感じで考えて。その一つ一つに、どうしてそのような考えを持つようになったのかという理由を探して、例えば、無視されるのはイヤだ。それはこんな経験があったからじゃないか。そうか、その経験によって俺にとって無視されるということはこのような意味を持って、だから俺は無視されるのが嫌いなんだな・・・みたいな感じでどんどん因果の鎖をつないでいって、、、、そこで、ふと気がついた。これは、もしかして、この行為によって、今まさに俺の中で俺という存在が作り上げられていってるんじゃないか?そうか、たぶんそうだ。それまで俺がどんな存在かなんて俺が俺なのだから考えるまでもないとある種自明のことのように感じていたけど、それっては明確な俺というものは無いっていうのと同じなんだなきっと。俺が自分について考えていたことは、ひとつひとつ理由とくっつけて、点と点を結ぶような感じで、自分を形作っていたってことなんだなーきっと。そしてそんなふうにして、構築された自分を意識することによって、俺はこういう存在だったんだなって影響を受けてしまって、俺はまた少しづつ変わっていくだろうし、でも今度はそれに対する反発も自分の中で起こってきて、新しい自分を作っていくだろうし、それがまた俺に対して影響を与えるし、、、、みたいな相互作用がどんどん起こっていくんじゃないんかなあ?さらに言うならばそんなふうにして頑張って作り上げた自分像もかなしきかな虚像に過ぎないということだよね。まあそれはしょうがないことなんだけど。

うーん。なんて分かりにくい文章だ。まあ直す気なんて無いけど。読んでくださった殊勝な方がいらっしゃいましたら、この場を借りて厚く御礼申し上げます。ほんとありがとうございました。精進します。

ちなみに、どんなときにこんなふうに物思いにふけりやすいかっていうと、バイトで車を運転してる時です。お気に入りの音楽を聴きながら、その音楽に誘われるように思考の海にどぼんしていくイメージです。もっと深くもぐれるようになりたいです。しっかし、今日はもうホント朝から夕方までほとんど車乗ってたからだいぶたくさんの時間をそれに費やしました。結構楽しい。